中国語の慣用句と諺
こんにちは。今回は中国語の慣用表現+ことわざを10個勉強していきましょう。
テーマとするのは『漢字からなんとなく意味がわかるもの』です。ご存知の通り、中国語は漢字の祖ですから、同じ漢字文化を共有する日本人にとってはその漢字から意味を想起できることが多いです。それは単音節あるいは二音節の単語に留まらず、ある程度の文字数の慣用句・ことわざにも同じことが言えます。
この記事では私が独自に選出した『漢字からなんとなく意味がわかる』表現を10個紹介していきます。その意味、解釈、覚え方なども交えて解説していきますので、楽しく覚えていきましょう。
- 五十步笑百步(wǔ shí bù xiào bǎi bù)
- 杀鸡给猴子看(shā jī gěi hóuzi kàn)
- 脚踩两只船(jiǎocǎi liǎng zhī chuán)
- 便宜没好货(piányi méi hǎohuò)
- 平时不烧香,临时抱佛脚(píngshí bù shāoxiāng , línshí bào fójiǎo)
- 鸡蛋里挑骨头(jīdàn li tiāo gǔtou)
- 鸡蛋碰石头(jīdàn pèng shítóu )
- 五分钟热度(wǔ fēnzhōng rèdù)
- 不知天高地厚(bù zhī tiān gāo dì hòu)
- 说曹操,曹操就到(shuō Cáocāo Cáocāo jiù dào)
五十步笑百步
五十歩百歩は日本語でも誰もが知っている表現ですよね。戦場においては、五十歩も百歩も逃げた時点で同じなのだから、歩数の違いは論じるに値しない、と言う意味です。
中国語では真ん中に「笑(xiào)」が入って「五十歩が百歩を笑う」と書きます。意味は日本語と一緒で「程度の違いはあれど本質は変わらない」「どんぐりの背比べ」「目くそ鼻くそを笑う」と解釈できます。
整理と例文です。
表現:五十步笑百步(wǔ shí bù xiào bǎi bù)
意味:五十歩百歩、程度の違いはあれど大して差はないこと
例文:你和我的分数只差1分,不是五十步笑百步吗?
(君と僕の点数差はたった1点なんだから、五十歩百歩だろ?)
杀鸡给猴子看
杀鸡给猴子看(shā jī gěi hóuzi kàn)の直訳は「鶏鳥を殺して猿に見せる」です。何かを殺して誰かに見せつけると言うことは…そうです、「見せしめ」にするです。非人道的な表現に見えますが、時には「警告」の意味として使われる時もあります。
杀鸡给猴看(shā jī gěi hóu kàn),杀鸡儆猴(shā jī jǐng hóu)など書き方がいくつかありますが、意味の違いはありません。
整理と例文です。
表現:杀鸡给猴子看(shā jī gěi hóuzi kàn)
意味:見せしめにする
例文:在学校,还常见教师以杀鸡给猴子看的做法为教育方法。
(学校では、教師が見せしめを教育方法としているのを目にすることがまだよくある。)
脚踩两只船
脚踩两只船(jiǎocǎi liǎng zhī chuán)の直訳は「二艘の船を踏む」です。船なんか本来一艘しか乗れません、どうやって二艘同時に踏むんでしょうか?欲張りですね。
勘のいい人ならお気づきですね。そうです、転じて「二股をかける(同时交往两个(或以上)的男/女朋友)」という意味です。双方とも良い関係を築くという意味で、必ずしも男女の交際で使われるわけではありませんが、使用の多くは「浮気/二股をかける」です。
整理と例文です。
表現:脚踩两只船(jiǎocǎi liǎng zhī chuán)
意味:二股をかける、浮気する
例文:小王发现他女朋友脚踩两只船已经很长时间了。
(王君が彼女の浮気を発見してから既にずいぶん時間が経っている。)
便宜没好货
便宜没好货(piányi méi hǎohuò)は直訳は「安いものには良いものは無い」です。これはそのままですね。日本語では「安かろう悪かろう」なんて言います。
『便宜没好货,好货不便宜』(安いものに良いものは無く、良いものは安くない)と後半に「好货不便宜(hǎohuò bù piányi)」をつけて書かれることも多いです。値段と品物に関しての表現は他にも色々ありますが、「一分钱一分货(yì fēn qián yì fēn huò)」(値段相応/筆者解釈:100円のものは100の品である)は覚えて置けるといいですね。
整理と例文です。
表現:便宜没好货(piányi méi hǎohuò)
意味:安かろう悪かろう、安いものに良いものはない
例文:淘宝上便宜真的没好货吗?
(淘宝では、本当に安いものに良いものは無いのですか?)
*淘宝:中国のオンラインショッピングプラットフォーム
平时不烧香,临时抱佛脚
平时不烧香,临时抱佛脚(píngshí bù shāoxiāng , línshí bào fójiǎo)は少し長いですが、よく見ればなんとなく意味がわかるはずです。『平时不烧香=平時は線香を焚かない、临时抱佛脚=一時的に神に頼む』です。後半は知らないとわからないかもしれませんが、前半の「平时不烧香」から意味を想定できると良いですね。
整理と例文です。
表現:平时不烧香,临时抱佛脚(píngshí bù shāoxiāng , línshí bào fójiǎo)
意味:苦しい時の神頼み
例文:平时不烧香,临时抱佛脚是没有多大用处的,不过,很多人却还总是这么做。
(苦しい時の神頼みは、あまり役に立ちませんが、多くの人がやっています。)
鸡蛋里挑骨头
鸡蛋里挑骨头(jīdàn li tiāo gǔtou)は直訳で「卵の中から骨を探し出す」です。卵の中に骨なんかあるわけないので、土台無理なことを言っているわけです。そこから転じて、『他人の粗探しをする』、という意味を表します。
整理と例文です。
表現:鸡蛋里挑骨头(jīdàn li tiāo gǔtou)
意味:あら探しをする
例文:他是一个爱在鸡蛋里挑骨头的人!
(あいつはあら探しばかりするやつだ!)
鸡蛋碰石头
鸡蛋碰石头(jīdàn pèng shítóu )、またしても「鸡蛋(卵)」の登場です。直訳は「卵を石にぶつける」です。転じて「身の程知らず」「無鉄砲」「全く相手にならないたとえ」などを意味します。
鸡(鳥)や鸡蛋(卵)を使った表現は他にも色々ありまして、例えば「杀鸡取卵(shā jī qǔ luǎn)」は「(鶏を殺して卵を取る→)目先の利益だけを求めて将来の利益を失う」ことを表し、「落汤鸡(luò tāng jī)」はスープに落ちた鶏という意味で「ぬれねずみ、ずぶ濡れなさま」を表します。
整理と例文です。
表現:鸡蛋碰石头(jīdàn pèng shítóu)
意味:身の程知らず、無鉄砲、全く相手にならないたとえ
例文:你这样做等于拿鸡蛋碰石头,太不自量力了。
(お前がそんなことをするのは卵を石にぶつけるようなもので、あまりにも身の程知らずだ。)
*不自量力(bú zì liànglì):身の程知らずである
五分钟热度
五分钟热度(wǔ fēnzhōng rèdù)は直訳で「5分間の熱」です。すぐ冷めちゃいますね。ということで、「熱し易く冷め易い」「長続きしない」「飽きっぽい」ことを意味します。
三日坊主みたいな意味では、「三天打鱼,两天晒网(sān tiān dǎ yú , liǎng tiān shài wǎng)」(直訳:三日魚を釣って、二日網を干す)もありますので覚えて置けると良いでしょう。
整理と例文です。
表現:五分钟热度(wǔ fēnzhōng rèdù)
意味:熱し易く冷め易い、長続きしない、飽きっぽい
例文:做事不能只有五分钟热度,要持之以恒。
(物事は三日坊主ではダメで、根気よくやり続けなければならない。)
不知天高地厚
不知天高地厚(bù zhī tiān gāo dì hòu)は直訳で「天の高さ、地の厚さを知らない」です。つまりここから「物事の重大さを知らない」という意味になり、最終的にはそこから「身の程を知らない」「物事の難しさを知らない」という意味になります。
先の「鸡蛋碰石头(jīdàn pèng shítóu)」も同じ「身の程知らず」を表しましたが、今回の不知天高地厚(bù zhī tiān gāo dì hòu)の方は「無知である」「思い上がっている」という意味を強く含みます。
整理と例文です。
表現:不知天高地厚(bù zhī tiān gāo dì hòu)
意味:身の程を知らない、物事の難しさを知らない
例文:这个年轻人不知天高地厚地在师傅面前夸夸其谈。
(この若者は、身の程を知らず無知に師匠の前で自慢話をしていた。)
说曹操,曹操就到
最後の「说曹操,曹操就到(shuō Cáocāo Cáocāo jiù dào)」は漢字からというより、文面から覚え易いです。直訳は「曹操の話をしていたら、曹操が来た」です。転じて、「噂をすれば」という意味を表します。
英語でも「speak of the devil and he will appear(悪魔の話をすると、悪魔が現れる)」という慣用表現がありますが、これに近いですね。
整理と例文です。
表現:说曹操,曹操就到(shuō Cáocāo Cáocāo jiù dào)
意味:噂をすれば(曹操の話をしたら、曹操が来た)
例文:真是无巧不成书,说曹操,曹操就到。
(本当に事は偶然的に起こるものだ。噂をすればだ。)
終わりに
さて、いかがだったでしょうか。慣用句やことわざは中国語学習においてかなりの難関ですよね。ただ今回紹介した表現のように、単語単語からある程度意味が推測できるもの、推測は難しくても覚え易いものがあります。少しずつで良いので、こうした覚え易い表現から暗記していくのも良い手だと思います。それでは今回はこの辺で、さよなら。